Auntie Kの日記

カナダで同性婚をしたアラフィフのおじさんのひとり言です。

【古い話】大学留学をしたきっかけ


 




ボンジュール☆

今日は朝から空もドンヨリで雨降りの1日になりそうです。
アテシってこんな日はなぜかノスタルジックになってしまいます。
上司の家族が海外旅行に行くチケットの手配を頼まれて奥さんと電話で話をしながら予約の手続きをしていました。
娘さんの誕生日が2000以降だったのを聞いてすごく歳をとった実感を受けて余計にノスタルジックになってしまっています。
そんな娘さんは高校生。
アテシの高校時代のことを思い出していました。

大学留学を考え出したきっかけ

国際文化コース」ってクラスのある県立高校に通っていました。
英語だけではなくて文化も学ぶ」って言うクラスでした。
英語の授業はもちろん、LLクラス、コミュニケーションや国際事情などの授業も有って、全部英語で授業を受けていました。
教員も海外の大学卒業だけでなく実際に海外の学校で弁を取っていた経験者ばかりで発音もしっかりしていたのを鮮明に覚えています。
もちろん外国人教師も確か2名くらい在勤でした。
「英語」と言う言語に触れる最高の環境だった訳ですね。
受験計画などの話が始まる2年生の頃のアテシの成績はどう見ても国公立の大学に入れるような成績ではなかったです。
英語だけは飛び抜けて良くても他の成績が。。。乏しい。。。
私立なら行ける大学もあったとは思いますがそんなお金は実家には無くて。
そんな時に外国人の在勤講師たちから海外留学を勧められ始めました。
この頃から真剣に考えるようになりました。

親を説得するために

先にも少し触れましたが実家は裕福ではなく、国公立の大学に行かせて貰うのも精一杯だったので、私立の大学なんて考えてもいませんでした。
ましてや海外留学なんて夢のまた夢です。
親に話をしてみましたがもちろん猛反対されました。
しっかり勉強して日本の国公立の大学に行け」と。
この頃の対米ドル為替レートは250円とかだったはずです。
イギリスやオーストラリアは高過ぎて全く手が届かず、インドとかも考えたくらいです!
学校に外国人の在勤講師がいてくれて本当に助かりました。
色んな情報を提供しながら大学留学の応援してくれました。
その中でも一番役に立ったのはアメリカンセンターに通うことでした。

勧められて毎週末通いましたよ。1年半くらいでしたかね。
当時はパソコンなんて無い時代です。
マイクロフィッシュって*1言う器材を使って、アメリカにある大学という大学の情報を読み漁った感じです。
親を説得するための条件は2つ。

  1. 寮がある
  2. 日本の国公立の大学と同額か安い

色んな大学の情報を持って来ては講師や先生たちの意見を聞きました。


留学ビザ申請の準備

当時F-1ビザ(留学生ビザ)を取得するには、大学の入学許可証が必要でした。
同時に、留学期間中の財務負担者の銀行残高証明や保証書の作成などが条件にありました。
自分に出来る限りのところまで自分で準備しようと、先ずは決めた大学の入学条件だったTOFLEの試験を受けました。
今みたいにメールを送ってお金をネットで払ってじゃ無いですよ。
郵便局に行って現金書留で送ったとかのはずです。
運良く1回で最低必要点数を超えてくれたので無駄な費用はかからずに済みました。
入学条件やビザ発行の条件などは良く変わるって書いてあったのとアメリカ人の在勤講師からも言われていたので大学にも直接手紙を書いて確認を取りました。
後は親を説得するだけです。

運が背中を押してくれた

高校3年の春だったと思います。
3者面談の時に、ウチの母親が外国人の在勤講師に呼ばれたそうです。
日本人の奥さんも通訳で来られていたそうです。
母親はこう言われたそうです。

息子さんが日本で学ぶ英語はもう無い。
日本の大学で英語学科を取るよりも、海外で英語で何かを学ぶことを勧める。
その実力もポテンシャルも十分にある。その芽を摘まないでほしい。

母親はこの時に折れたそうです。
最初は赤の他人にここまで言われる筋合いはないと思ったそうです。
でもここまで息子の将来を考えてくれている人が周りにいる事に感謝する様になったそうです。
この話は出発を前に空港で待っている時に母親から教わりました。
「その人たちのためにもしっかり頑張りなさい。」
そう言われました。


もう一つ運が自分留学を後押ししてくれました。
TOFLEも無事問題なくパスし、大学に出した入学条件や留学生ビザ発行条件の確認のを待っている時だったと思います。
髄膜炎になってしまい3ヶ月の間入院してしまいました。
高校3年の夏だったはずです。
この時両親は医者に数分遅れて病院に来ていたら死んでいたっと言われたらしく一番猛反対していた父親がここで折れました。

人生一度しかない。もう好きな様に生きろ。

猛反対していた父親が折れたのは心底驚きました。
でも条件付きでした。
「20歳になるまでは金銭的なサポートする。その後は自分でどうにかしろ。」*2



こんな感じでアテシは大学留学とやらをする事になり親の元を離れました。
今考えると無謀ですよね。
当時はそんな事よりも自分も将来の期待や新しい生活への希望以外考えていなかったと思います。
あの時にあの人との出会いが無ければ。
あの時にこんな事件が無ければ。

人生の岐路にはそんな出会いや出来事が無かったですか?
アテシにとって高校時代にあった出来事や出会った人たち全てがアテシの出発点だと思っています。
それだけにたまにこうやってノスタルジックになる時に思い出しています。



*1:マイクロフィルムの一種。カード状で普通は A6判 (105mm× 148mm) サイズに 60コマの像を複写する。フィルムの検出が容易で,保存場所は小さくてすむが,縮小率が大きいので復元がややむずかしいという欠点もある。技術文献,部品のカタログなどに使用され,専用のカメラやリーダ・プリンタが使われる。

*2:実際、20歳になった後は本当に仕送りが無くなりました。